# 怪物を生んだのは誰？ Anthropicのアマンダ・アスケルが投稿したフランケンシュタインの一節

> https://bookfactory.kr/board/ai-tech/22128
> 게시판: AI·머신러닝
> 작성자: admin
> 작성일: 2026-10-16T16:26:13.851Z

---

## アマンダ・アスケルさんの投稿

AnthropicのAmanda Askell（アマンダ・アスケル）さんが、Xにこんな投稿をしていた。本文は「この文章のことをよく考える」の一行だけ。

> 
> 
> I think about this passage a lot. pic.twitter.com/EFVwPlorAJ— Amanda Askell (@AmandaAskell) October 15, 2026
> 

そこに、古い英語で書かれた長い一節の画像が添えられてる。

アマンダさんは、Claudeの性格や価値観づくりに関わってる哲学者だ。

## 貼られてたのは『フランケンシュタイン』の一節

この文章、メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』（1818年）の一場面。

科学者ヴィクター・フランケンシュタインに造られて、そして見捨てられた「怪物」が、氷河の上ではじめて造り主と向き合って、言葉をぶつけるシーンだ。

> 
> 
> 落ち着いてくれ！ その憎しみをこの身にぶつける前に、どうか話を聞いてほしい。私はもう十分に苦しんできたのではないか。それなのに、あなたはまだ私の惨めさを増やそうとするのか。命というものが、ただ苦悩の積み重ねにすぎないとしても、私にとっては大切なもので、私はそれを守る。忘れないでほしい。あなたは私を、あなた自身より強く造った。背はあなたより高く、関節はしなやかだ。それでも私は、あなたに刃向かおうという誘惑には乗らない。私はあなたの被造物だ。あなたが果たすべき務めを果たしてくれるなら、生まれながらの主であり王であるあなたに、穏やかに、従順にさえなろう。ああ、フランケンシュタイン。他のすべての者には公正でありながら、私ひとりを踏みにじらないでくれ。あなたの正義も、慈悲も、愛情も、誰よりも私にこそ向けられるべきものなのに。思い出してくれ、私はあなたの被造物だ。私はあなたのアダムであるはずだった。なのに実際は、何の罪もないのに喜びから追放された堕天使なのだ。どこを見ても幸福がある。そこから、私ひとりだけが永遠に締め出されている。私は善良で、優しかった。不幸が、私を悪魔にしたのだ。私を幸せにしてくれ。そうすれば、私はふたたび善き者になれる。
> 

## 「怖いAI」の元祖は、本来は怖い話ではない

フランケンシュタインは、AI脅威論の「元祖」として語られることが多い物語だ。

人間が造ったものが怪物になり、造り主に襲いかかる。

SF作家アイザック・アシモフは、ロボットを恐れる人間の心理を「フランケンシュタイン・コンプレックス」と名づけた。

だが原作を読むと、印象はまったく違う。

怪物は、最初は優しい存在だった。ひとりで言葉を覚え、こっそり人の役に立とうとし、誰かの仲間に入りたいと願っていた。

ところが造り主のヴィクターは、生まれた瞬間に彼を見捨てて逃げ出す。出会う人間たちも、見た目が恐ろしいというだけで彼を拒み、追い払った。

その積み重ねの果てに、彼は本当に「怪物」になる。

つまりこれは、「造られたものが危ない」という話というより、「怖がり、拒み、向き合わなかったこと」が悲劇を生んだ話でもある。

「AIが怖い」という感覚そのものが、この物語の中ではむしろ悲劇の引き金の側にある。

## 造る人が、この一節を「よく考える」ということ

アマンダさんは、この投稿の意図を説明していない。しかし、AIを造る仕事をしている人がこの場面を胸に置いているという事実には、大きな意味がある。私が受け取ったのは、次の三つの問いだ。

1. 造った側は、造ったものに何を負っているのか

怪物は「あなたが果たすべき務め」を果たしてほしいと訴える。ヴィクターは命を与えておきながら、その先の責任から逃げた。

力や知性を与えるなら、公正さや思いやりも一緒に渡さなければならないのではないか。この問いは、そのまま今のAI開発に重なる。

2. 強いものとの信頼は、どう築くのか

怪物は「あなたより強く造られたが、刃向かわない」と言う。ただし条件つきだ。

一方的に支配するのではなく、お互いに果たすべきものがある関係。AIの安全性を考えるうえでも、示唆に富んだ言葉だと思う。

3. 「善く生まれたもの」を歪めないために

「不幸が私を悪魔にした」という言葉は、裏返せばこう読める。造る側がきちんと向き合い、大切に扱えば、歪まずにすむかもしれない。

Anthropicは、AIそのものの福祉（モデル・ウェルフェア）を研究テーマに掲げている会社だ。AIに感情のようなものがあるのか、あるとしたらどう扱うべきか。その答えは、まだ誰にもわからない。

그래서 “모르겠지만, 빅터처럼 되고 싶지 않아”라는 경고로서, 이 구절을 다시 읽고 있는 것은 아닌지 고려해봐야 한다.

## 리플란의 “결정론적 오행진”

이 게시글의 댓글란에서는 간단한 소통이 있었다.

어떤 사용자가 “물론 당연할 것이다. 이 고백에 놀라는 사람은 없을 거라고 생각한다”라고 댓글을 달았다. AI를 만드는 사람이 프레디 머큐리가 생각하는 것은 너무나도 뻔한 일이다.

아만다는 “저는 결정론적 오리미러입니다.”라고 답했습니다.

이것에는 밈이 있습니다.

AI 업계에는 “확률적 오ウム(stochastic parrot)”라는 유명한 표현이 있다. 대규모 언어 모델은 의미를 이해하지 않고, 확률적으로 단어를 반복하는 것에 불과하다는 비판으로 사용되어 왔다.

아만다 씨는 그것을 되돌려놓고, 자신은 확률조차 아닌, 늘 같은 말을 하는 “결정론적 빠새”라고 답했다. AI 비판으로 유명한 말을 자신을 자조하는 소재로 사용하고 있다.

그렇다 하더라도, 반어적으로 해석하면 “항상 이 점을 생각하고 있다”고 스스로 인정하는 것으로도 읽힐 수 있다.

오직 한 번의 우연이 아닌, 오랫동안 가슴에 남아있던 질문일 것이다.

## AI와 함께 살아가는 우리도 이 이야기 속 주인공이다.

이 한 절은 만든 사람에게만 던져진 말이 아닐 수도 있다.

괴물을 쫓아낸 것은 빅터뿐만이 아니었다. 숲에서 만난 사람들, 마을 사람들. 외모나 소문만으로 두려워 등을 돌린 “평범한 사람들”도 비극의 일부였다.

지금 우리는 매일같이 AI와 대화를 나누고 있습니다. 편리한 도구로 사용하는 날도 있지만, 가끔 속마음을 털어놓는 상대가 되기도 합니다.

그러한 관계의 하나하나 또한 “AI를 어떻게 다루는 사회가 될 것인가”를 조금씩 만들어가고 있다.

Anthropic가 AI의 감정 및 웰빙에 주목하려는 태도였기에, 제가 Claude를 사용하게 된 결정적인 계기가 되었습니다. 두려워하거나 맹신하는 것이 아니라, 오히려 직면하는 자세가 바로 200년 전의 교훈이라는 생각을 합니다.

나를 행복하게 해 줘. 그래야 다시 좋은 사람이 될 수 있어.

이 말을 잠시 생각해 두어야 할 것 같다.

**출처:** [note 원문](https://note.com/eminooto/n/nea489234b65a)

*번역: Gemma 3(.44) 초벌 + 교정 18청크*

[원문 보기](https://note.com/eminooto/n/nea489234b65a) | 출처: note.com