# 와 무라카미의 노후 판타지

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> 게시판: 도서 리뷰
> 작성자: admin
> 작성일: 2026-10-25T18:56:34.951Z

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村上龍『ユーチューバー』（幻冬舎）村上春樹『街とその不確かな壁』（新潮社） 一九七六年の村上龍『限りなく透明に近いブルー』と一九七九年の村上春樹『風の歌を聴け』、この二作から日本の「現代文学」は始まった。そう考えている私のような人間にとって、今春（注：2023年）に相次いで刊行された二人の最新作──村上龍『ユーチューバー』と村上春樹『街とその不確かな壁』──は不思議な感慨を与えてくれるものだった。 それぞれの内容に深く踏み入るのではなく、両者の相同性と違いを述べることから、この「感慨」について語ってみたい。 二つの作品には、表面上の類似点はほとんどない。村上龍の『ユーチューバー』は四作からなる連作短編集で、もっとも長い作品である書き下ろしの表題作も70ページ程度しかない。他方、一九八〇年に「文學界」誌上で発表された初期の中篇「街と、その不確かな壁」の「再話」である村上春樹の『街とその不確かな壁』（今回は読点がつかない）は本文六五〇ページ超えの堂々たる長篇である。 二作のうち、大いに話題になったのは村上春樹のほうだった。中篇「街と、その不確かな壁」はこれまで一度も本として刊行されたことのない「お蔵入り」作品であり、作者自身が失敗作とみなしてきた。ただし、その発展型として一九八五年に刊行された長篇『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は初期の傑作として評価が確立しており、すでに「街と、その不確かな壁」の問題はそこで決着がついたものと思われていた。だが今回の『街とその不確かな壁』の「あとがき」で、村上春樹はこう書いている。 「しかし歳月が経過し、作家としての経験を積み、齢を重ねるにつれ、それだけで「街と、その不確かな壁」という未完成な作品に──あるいは作品の未熟性に──しかるべき決着（けり）がつけられたとは思えなくなってきた。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はそのひとつの対応ではあったが、それとは異なる形の対応があってもいいのではないか、と考えるようになった。「上書き」するというのではなく、あくまでも併立し、できるものなら補完しあうものとして。」 二〇二〇年から始まった新型コロナウイルスのパンデミック状況での隔離された生活が、村上春樹にその「対応」の機会を与えた。その結果差し出されたのが、三部からなるこの長篇作品だった。 過去に発表された中篇、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、そして今回の長篇のいずれにも、「不確かな壁」によって囲まれた「街」が登場する。基本的にファンタジー小説の論理でものごとが進むその世界で主人公は「夢読み」という作業を行うのだが、その舞台となるのは「図書館」である。 今回の長篇版で私がいちばん関心を抱いたのは、幻想的なこの「街」の側ではなく、基本的にはリアリズムで描かれる現実世界の側で、すでに中年となっている主人公「私」が、やはり「図書館」に勤めるという設定がなされている点に対してだった。 「私」という語り手は、自分の半身がまだあの「街」に残っているのではないかと感じつつ、「毎朝電車に乗って会社に通勤し、いつもどおり同僚たちと簡単な挨拶を交わし、会議に出て然るべき（しかしそれほど役に立つとも思えない）意見を述べ、あとはおおむね自分の机の前で、コンピュータに向かって作業をする」ような人物である。以前にこの連載で『騎士団長殺し』について論じた際にもちいた表現に倣えば、現代における「常民」（柳田國男）のような存在といえるだろう。 主人公がサラリーマンであるという点だけでも今回の『街とその不確かな壁』は村上春樹の諸作品のなかで異色なのだが、書籍の取次会社という職種も具体的に明らかにされている。この選択は現実世界においても「私」が「図書館」に転職するという展開のための布石であり、リアリズムの観点から見咎めるのは無粋といえるだろうが、この時点で『街とその不確かな壁』の現実サイドの描写にはほとんどリアリティが感じられなくなる。 自身を「初期中年クライシス」かもしれない、と考える「私」の実年齢は四十五歳。いまだ独身であり、「この十年ばかり、通勤に便利な都内の賃貸のアパートに住んでい」るような人物だ。 そんな「私」は、図書館についてはほとんどなんの知識もないまま（当然、司書の資格ももたない）、大学の後輩で「図書館関係の部署にいる」大木という男の仲介で、福島県内のZ＊＊町という、「会津からさほど遠くないところにある」「人口一万五千人ほど」の集落にある「民間移管された図書館」での職を首尾よく手に入れるのだ。 私は村上春樹の『街とその不確かな壁』という作品を読み、ほとんど心を動かされるということがなかったのだが、その読了後に、こちらはさして期待もせずに読んだ村上龍の『ユーチューバー』もまた、村上春樹の作品と同様、「初期中年クライシス」と思しき中年男が「転職」する話であることを知り、冒頭に述べたような「感慨」を覚えたのだった。 『ユーチューバー』に収められた連作の主な登場人物は三人である。作者自身を思わせる「七十歳になったばかりの有名な作家」の矢崎健介。その愛人と思しき、彼と「いつもいっしょにいる三十代か四十代か五十代の女性」、そして表題作と第二話の「ホテル・サブスクリプション」の語り手となる「世界一もてない男」と自嘲する「わたし」だ。「四十前」だという「わたし」もまた一種の「常民」的な存在だが、村上春樹の「私」より社会的に、ややめぐまれた状況にいる。 「わたし」は「さまざまな種類のお茶を売る」会社で「創業者のひ孫」として役員をしていたが、辞めざるを得なくなった。「退職金や一時金の類」はないが「株を持っていたのでいくばくかの資金」があり、それを元手に独立を果たし、「気分は高揚していた」。そんな人物である「わたし」が独立後のビジネスとして始めるのが、表題の「ユーチューバー」なのである。 地方の小さな「図書館の館長」と「ユーチューバー」。この時代──いちおう、どちらの作品も「現代」が舞台とみなすべきだろうから──を生きる中年男が、平凡な会社員あるいは会社役員の仕事をやめて転じる先の職種として、これほど象徴的で、かつ哀れなものはない。 村上春樹や村上龍の「小説」を好むような読者に対して、この二つの職種──書物やメディアにかかわるという意味では「文学」に隣接し、しかも館長だったり独立自営業であるという点ではサラリーマンより「自由」な──が、小説家あるいは文学者という仕事と交換可能な、一種のカウンターパートとして提示されていることは明らかだろう。 『街とその不確かな壁』の幻想の「街」の側の「図書館」では、「夢読み」という仕事はほぼ「本を読む」という行為の愚直なメタファーになっている。『ユーチューバー』連作の「わたし」は、作家の矢崎健介にこれまでの女性遍歴を話してもらうユーチューブ動画を企画し同意を得る。ユーチューバーといえば、通常は自分自身が動画のなかで話す人物のことだが、ここでの「わたし」は矢崎の話を配信するインタビュアーであり黒子にすぎない。紙の出版物がまだ盤石な時代なら、「編集者」や「ライター」がやっていた仕事である。 つまりこの二つの作品は、「商業出版」というビジネスがもはやどんな幻想も喚起しなくなってしまった時代における、文学についてのファンタジーを描いた作品として、ほとんど同じ構造をもっているのだ。 そのことに気づいてしまった途端、私は『街とその不確かな壁』という物語の「内容」について考えたり、語ったりすることが、ほとんど無意味だと思ってしまった。 『街とその不確かな壁』は、一言でいえば老年にさしかかった小説家による、自作に対する歴史修正である。初期作品における「僕」と「鼠」、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』における主人公とその「影」、あるいは『海辺のカフカ』における「カフカ」と「カラス」。村上春樹の作品の大半は、「語り手」とその「影」との織りなす対位法として語られ、両者がけっして同一化することはないことによって物語が駆動していた。しかし村上春樹は、「作家としての経験を積み、齢を重ねる」ことにより、その「未熟さ」に耐えられなくなったのだろう。ならば、まったく新しい物語を書けばよいものを、旧作の「リライト」──しかも二度目の──を行うことで、「街」と「壁」の物語を台無しにしてしまった。 他方、村上龍は『ユーチューバー』で、「わたし」という冴えない男を聞き役にすることで、思いがけないほど率直に、自分自身を語っている。常宿にしているホテルの部屋で、気に入った馴染みの女と、高級な酒を飲みながら、過去の名作映画やドキュメンタリーの映像を衛星放送やユーチューブで観る。しかしそれも村上龍にとっては一種の「夢読み」なのだ。ブッキッシュな「私」にとっては書物が、そうではない「矢崎健介」にとっては映像作品が、老後の無聊をかこつ唯一の手段であり、そのことをあからさまに綴った作品がほぼ同時に刊行されたことが、この半世紀の現代日本文学の一つの帰結ならば、あまりにも寂しい。 ところですでにインターネットでも指摘があったが、なぜ、七十代を過ぎても村上春樹はいつまでも三十代前後の人物を主人公に据え続けるのか。なぜ彼は自分と同じ年代の人間を描こうとしないのか。この問いは村上春樹という作家を考える上で本質的なものに思える。少なくとも村上龍は、「わたし」という人物の目を通して「七十歳になったばかりの有名な作家」である自身を、戯画的に描いた。そのぶんだけ『ユーチューバー』という連作は風通しのよいものになっている。 対照的に村上春樹は『街とその不確かな壁』で、自身の十代へと帰ろうとしている。だが、そこについていく読者は果たしてどれだけいるだろうか。

(출처: 『출판인·광고인』, 2023 년. 단행본에 실리지 않음)

※村上龍さんが亡くなられたとの報道を受け、遺作となった『ユーチューバー』について書いた書評を公開することにしました。氏のご冥福を心よりお祈りいたします。（筆者）

**출처:** [note 원문](https://note.com/solar1964/n/na7c2bc437c82)

*번역: Qwen 3.5(.48) 초벌 + 교정 검수*

[원문 보기](https://note.com/solar1964/n/na7c2bc437c82) | 출처: note.com