汝、星の如く 読みました。小説。
胸熱。
SNSでたくさん感想などが飛び交っていたからとりあえず見ないようにして全部お気に入りに保存していた。
人それぞれ受け取る感情とか、感想は違うものになると思うし物語を読んだ後の、感情だったり、どう受け取るかは、自分が今までの生きてきた世界で得た価値観だったり、取り巻く環境・構成されるものに左右されると思っている。丸裸まではいかなくても半裸にはなるよね笑。
その読んだ感覚を言葉としてアウトプットする前に、誰かの感想をインプットするのは自分の感情を消してしまう行為な気がしてしまうのでひたすら書きます。
読書感想文はあらすじは書かなくていい、あらすじは調べたらいくらでも出てくる、でも、それを読んだ時、その時の自分の声は残しておかなくては。自分は忘れてしまうし、この情報社会で生きていたら簡単に塗り替えられてしまうし、何より今の生の声、生まれた感情をそのまま保存しておくことは何よりも貴重なものであると考えているのだ。
自分がこの思考に至ったのは、どの出来事がきっかけでどう変わったのかなんてわからないけれど、今、現在の自分の感覚・感情はこう、という記録として、今後も残していきたい。
同じものを見たり、聞いたりしたとしても、タイミングだったり、時が経つにつれて、受けとる部分が変わったり、感覚が違ったり、心に響く感情、声は異なるかもしれない。同じ自分なのに、変化していくのは、興味深いし、面白い。
(ある意味自分好きなのかなあ・・・・・)
それではやっと
↓読んでの感想↓
すごい最後までわからない展開にすごく心を持っていかれた。
絵に描いたような恋愛ではないし、お手本のような恋愛ではないかもしれない
けどそこにはちゃんと壮大なストーリーがあって。
みんな幸せになっていんだよって、声を大にして言いたい。今回は主人公どちらにも感情移入して読んだわけではなかったけど。
幸せの形は人によるってことといくら自分の人生は自分のものなんだって誰かが言ったとしても周りの環境、ひとって自分の人生を左右するしその上で、結局色んな選択肢の上で成り立っているんだなって。
他人の、ひとの人生を抱えるというのは正直重すぎる責任とかそういうものも正直重すぎる。
結局、自分の人生をそれぞれ自分で抱えて誰かと協力しあって、その誰かとお互い幸せになれるように努力する必要はあるのかもしれない。
運命で決められた恋なんてものも、あの2人はやっぱり2人でいるべき存在だと最終的に気づいたと思うし、そのタイミングも正直14年時を経てという形でそれが本当に正解だったかなんてわからないけど。
恋愛は正解が全てではないと教えてくれている。
本文にもあったけど、人間は最終的に、正論という選択は最後の砦だと。
本文の中で
櫂に答えを求めるから苦しいのだ。自分がどうありたいかの選択肢は、いつでも自分の手の中にある。
結局、暁海は選ばなかったし選べなかった。確かにそうである、いくら運命があるとしても、勝手には幸せにはなれないというか。ある意味自分で選ばすに人生を生きている感じ。
櫂と遠距離恋愛になって物理的にも心の距離も離れてしまっている時も
ずっと田舎で自分を待っている可哀想な彼女、だから櫂は私と別れられないのだろうかなんて自分を卑下するくらいに。
運命を他人に任せすぎているともとれるしけど、やっぱり他人のことを思うばかりに優しすぎるが故にともとれるし。
結局櫂は、どうなっても暁海だったんだし。結局のところ暁海もどうなっても櫂だったんだよね。幸せの形ってそれぞれかもしれないけど、暁海が勇気を持って自分の人生を自分で責任もって行動していたら、結末は全く違う幸せもきっとあったと思う。
櫂はいつでも自分の心だったり気持ちには素直だったと思う。作品に関しても幼馴染の尚とやりたいという気持ちは突き通していたし暁海にも何度も何度も連絡はしていたわけで行動はしていたと思うし。
それを選べなかった暁海の結果だと思う。
北原先生と結婚した時も。結婚とは相手を大事に思うことであるとは思う。お互いが合理的に必要と判断して、協力する、それも一つの形ではあると思う。夫婦という概念は人それぞれ違うし、それぞれの解釈だったり、目的があっても構わないと思う。
それは世間の当たり前とか、常識というカタチの枠に必ずしもハマる必要がないんだと私たちを肯定してくれているような気持ちにもなりつつ、少し悔しくもなった。
暁海に。どうしても自分の人生を他人に委ねすぎではないかと。
結局、都合がいいんじゃないかと。
・・・結局人生、ある意味うまく他人を利用して、いかに自分を幸せにするか、みたいなことでもあるのかもしれないと悟った。北原先生も自分の人生自分で決めて幸せを自ら掴みに行っていたと思う。よかった。
でも人は自分というフィルターを通してしか物事を見られない。
自分の幸せは自分で掴むしかない。自分がどうありたいかっていうことは、生きるにおいて最重要事項だと思い知っている今。自分がどうありたいかイコール幸せではないこともほんとにそうかもしれない、けど、結局は自分の人生はどうありたいかはちゃんと選んで生きていきたい。
何かを選ぶことは何かを捨てることであるっていうけどほんとその通りだな。悲しいけど。
なにかを欲するなら、失う覚悟も必要だ。
何もかも手に入るわけじゃないのが、この物語でも、現実社会でも厳しいところなのかなと思う。
自分の人生の手綱は自分でにぎっていたい。自分を縛る鎖は自分で選ぶ。
暁海は、北原先生と結婚してからやっと自分でそれができるようになっていた。
北原先生の言葉で
自分で自分を養える、それは人が生きていく上での最低限の武器です。結婚や出産という環境の変化に伴って一時的にしまってもいい。でもいつでも取り出せるよう、メンテはしておくべきでしょうね。いざとなれば闘える。どこにでも飛び立てる。独身だろうが、結婚していようが、その準備があるかないかで人生が違ってきます。
そして
パートナーがいてもいなくても、子供がいてもいなくても、自分のこと足で立てること。それは自分を守るためでもあり、自分の弱さを誰かに肩代わりさせないということでもある。人は群れで生きる動物だけれど、助け合いと依存は違うから・・・・と作者は続けた。
何度でも言います。誰がなんと言おうと、僕たちは自らを生きる権利があるんです。正しさなど誰にもわからないんです。だったらもう捨ててしまいなさい、もしくは選びなさい。
僕たちは悩み深い生き物だからこそ、悩みの全てを切り捨てられる最後の砦としての正論が必要なんです
何を捨てて、何を選ぶか。何も捨てないで何も選ばないか。それって全然違うことだなって思った。
それを暁海に、教えてくれたのは北原先生で。暁海には必要な存在だったんだなって思った。
大変な思いをたくさんしてきた暁海
けど、結局どこまでも周りに恵まれている。櫂や北原先生、瞳さんや、結ちゃんなどに認められて想われている暁海が羨ましく、妬ましく思ってしまった。
幸せに、なりたいね。みんな、ならないとね。
출처: note 원문
번역: Qwen 3.5(.48) 초벌 + 교정 검수
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