今回は「我々は宇宙人」を観たので、その感想をまとめていきたいと思います。
本作は2026年9月に公開された映画で、小学生の後藤翼とその相棒である星暁太郎の10数年にわたる関係性が中心として描かれます。
本作で最も印象的だったのは、第一には「日常」の解像度の高さでしょうか。
小学校時代を例に挙げると、本作で最後に回収された「じゃーねー」のやり取りを始めとして、登場人物の喋り方、ワードセンス、体全体で微妙に統制が取れていないような体の動かし方、教室の雰囲気など、どれを取っても平成の小学校をそのまま切り抜いてきたようなリアリティや臨場感がありました。
やはり本作で一番最初にすごいなと思ったのはここですね。またポケモンシール・コラショの目覚まし時計といった、実在の小物を作中に登場させることで、そのリアリティをさらに高めていました。こうして細部に力を入れているのは作品全体のこだわりを感じますし、実際にフィクション作品という枠を一個超えたリアルさが演出されていたように感じます。
でまあこのリアリティがすごいよねという話もそうなんですが、作品全体のテーマを考えた時に、ここで観客に対してノスタルジーや憧憬を喚起することで、作品で取り扱われている題材や登場人物に起こる出来事の数々が、かなり臨場感をもって現れます。換言すると、自分ごとのように強く感じるということですね。
もう少し具体的には後述しますが、このリアリティとそこから観客の中で喚起されるノスタルジーが、映画体験の核であり、土台になっていたと感じました。
次に、テーマ性がかなり良かったですね。本作のテーマを自分なりにまとめると、「人間の相互個別性」という感じでしょうか。自分と他人では大切にしているものや覚えていること、見えているものが違って、宇宙人同士のように、相互に独立しあっているというような感じですね。もちろんこのテーマ性自体もいいんですが、これの伝え方というか、取り扱い方がかなりいいなと思いました。
まず1点目としては、このテーマを普遍的なケースに落とし込んでいる点でしょうか。よく分からない友人を宇宙人ではないかと思い込んでしまう、自分にとって大事なことを相手は忘れている、自分に無いものばかりが目について相手の本質を見ることができていない、といったような出来事が、2人の思い出を巡りながら一貫して描かれます。
こういったことはかなり普遍性があって、観客側としては「確かにこういうことあるよなぁ……」という気持ちがかなり湧いてきます。で、ここで前述したリアリティとノスタルジーの喚起がかなり効いてきて、解像度の高い日常風景と出来事から、「そういえば自分もこういうことあるなぁ……」というのが自然と浮かんでくる仕組みになっていて、かなり個人のナラティブで見られる作品になっています。
2点目としては、話の収め方がすごく良かったですね。「自分の視点でしかものを見られないから他人の良いところばかりが目についてしまうけど、自分が今持っているものを見落としてしまうこともある」とか、「他人にとって大切なことを忘れてしまうけど、だからこそ過去のことを忘れて少しでも分かり合うことができる」みたい形でテーマを最後に調理していました。
これが個人的にはかなり良かったですね。テーマを露悪的にというか、テーマ性に関連づけた悲劇を描きつつ、最後はその良い側面を見せて話を収めたことで、かなりすっきりとした後味になっています。でそれが後付けのハッピーエンドという訳ではなく、ちゃんと一貫していた本作のテーマの上で、そのコインの表裏として提示していたのが、とても美しくまとまった話だと思いました。また、人を傷つけながらも最後に救いあって認め合える、という構造自体が、かなり青春の構造になっていて、作品の爽やかさに一役買っていると思います。
余談ですが、「露悪的」という言葉はあんまり本作の感想として出すべきでは無い言葉かもしれないですね。善悪や嬉しい悲しいというのは個人の中で存在していて、それを解釈する人間によって変わるというのが作品で取り扱ってきたことでもあるので……。
また3点目としては、そこにアプローチするまでの展開が良かったですね。
本作のテーマ性としては前述した通りですが、結局その内容がポジティブな形で結実するのは最後の10分間なので、そこまでは、言うなれば結論を言うための前振りの段階ではあります。で、その段階でも、ミクロに人を惹きつける作品になっているのがなおよかったなと思います。序盤から振り返ると、かけがえのない友人との青春から始まり、その子が宇宙人ではないか?というサスペンス的要素、疎遠からの友情の再確認、円満な未来からの過去の直視という形で翼視点は終了し、暁太郎視点でも、幼い恋愛ものとしても上手くいかない人生に対する憎しみの復讐劇としてもよっむことができます。また、もっと大きい枠として、幼少期の事件における真相が明らかになっていくというストーリーラインとしてみても、全体として翼視点、暁太郎視点の情報が相互に補完しあって、後半になると「あのシーンはこういう意味があったのか!」というのが連続して、かなり伏線もがっちり貼られていて固い話づくりだったと思います。
要するに、作品全体では一貫して一つのテーマを描き続けつつも、ミクロな部分で話がキャッチーに上手くまとまっているので、一つのテーマを描く作品でありがちな「終盤までが面白くない」「説明感、とってつけた感がある」ような展開にならないんですよね。道中もちゃんと面白いし、その上で全体で一貫したテーマを描き続けているという、個人的にはかなり理想に近い構成をしていたと思います。
他に印象的だった点としては、演出が良かったですね。序盤だと宇宙人に攫われる想像のシーン、ゲームを勝手に持っていった件で母親に怒られるシーンもそうですし、後半だと逆上して同窓会に突撃しようとするシーンなんかは、分かりやすくかなり印象的でしたね。
版画というか図画工作の絵を想起させるような本作のビジュアルも理由の一つでもあると思いますが、全体的に絵に迫力があって、なおかつ従来のいわゆる「アニメっぽい」絵よりは顔のパーツが多い、「可愛く」「かっこよく」描く必要がないなどの理由からかかなり表情豊かに感じられました。また、緊迫するシーンでの表情の固まり方だとか影の入り方は、そもそもデザインに存在する微妙な不気味さと相まって、こちらもうっとなるような迫力があるように思いました。
また演出面としては、シンプルに映画の技法的な部分がとても上手で、光の入り方、大きな音を使った緩急、工夫した構図などの基本的な部分から、世界が崩れたように作画のタッチが変わるシーンなどもあって、基礎をしっかり押さえながら他ではあまり見ないような演出もありました。
もう少し踏み込んで演出面に言及すると本作は表現全体が叙述的で、語られる物語は主観的なものである、という演出がされていました。
例えば終盤の焼肉のシーンでは、翼にとっては会話の内容は重要ではなく、旧交を温めるシーンとして、音楽を背景にハイライトとして描かれていましたが、暁太郎視点では、どういう会話の内容で笑っていたのか、どういう会話をしていたのかというのが明確に描写されます。
また前述した、暁太郎が翼を襲おうとしたときに世界観が大きく変わるシーンも、その最たる例ですね。暁太郎の視点ではこのように世界が崩れたように感じられている、というような感じです。
この叙述的な表現はかなり良かったですよね。「二つの視点からみて初めて真実が明らかになる」という、作品のエンタメとしての要素を面白くする表現でありながら、本作のテーマの一つでもある「人は自分の視点でしか世界を見ることができない」という部分にも深くつながってきます。
この表現方法があったからこそ、暁太郎が翼に劣等感を感じていた書道や勉強は本人の不正や苦しい努力の上に立つものだし、暁太郎視点で重要だった出来事は翼にとってはただのいたずらだし、という感じで、話を正当に読んでいけばこの作品のテーマに自然と導かれる形になっています。
また、ほかの良かった点として、かなり個人的な話にはなるのですが、個々のシーンの意図とか、「このシーンは何を伝えたいんだろう」というのがどのシーンも明確で理解できたのが良かったですね。
これはかなり個人的な部分ではあるのですが、なんかどうとでも取れるシーンとかよくわからないシーンみたいなのはあんまり好きじゃなくて、「なぜこのシーンが存在したのか」という理由が明確になっている、説明可能性の高い作品の方が私はストレスがないし作品の組み立ての美しさを感じられて好きです。もちろん自分の理解力の問題もあるのですが……。まあ自分の鑑賞レベルに合致していたと言い換えてもいいかもしれないですね。
総じて、本作は滅茶苦茶面白く、作品の哲学やそこに行くまでのアプローチがとても自分好みの作品でした。「一貫したテーマがある」「全体のテーマだけではなく作画、演出、キャッチーな展開などマルチな魅力がある」「万人が面白さを感じられる」みたいな部分を個人的には大切にしているのですが、本作はその要素を十分に満たしていたように思えます。
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출처: note 원문
번역: Gemma 3(.44) 초벌 + 교정 검수
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