こんにちは、半夏生です。友人におすすめされたので、映画「我々は宇宙人」を見てきました。
普段は小説や詩を書いていますが、エッセイも書いてみようと思い筆をとっています。以下、微ネタバレ注意です。
所感
見終わってから第一に「結末ありきの物語ではなく、人生そのものをのぞき見た」と思いました。かなり衝撃を受けます。でもそれはいきなりがつんと来る衝動的な揺さぶりではなく、不意に顔を上げたら目の前に私の内面をばらまかれていたという感覚に近いです。それか、私がいままで歩いてきた道のジオラマを眼前に用意されたような。かなり独特の気分です。芸術作品によくある深い意味を持たせて消極的な問いかけをしてくる類のものではないと感じましたし、翼と暁太郎に私自身の人生を重ねていた……と表しても正確ではありません。もちろん少年期の記憶はふんだんに呼び起こされました。でも、ふたりの人生と私自身の人生は交わりません。それらは近くを並行するように進んでいるから、彼らの人生を覗き見るときに、私の人生も近くに見えてくるのだというような気がしました。
以下、大ネタバレ注意です。いくつかの要素に分けて詳細を書きます。ただし素人です。何がどれのメタファーだとかは分からないし、制作の背景にある具体的な文脈だとかは知らないので、あくまでも私個人の表現力に縛られた感想であることはご了承ください。
・音
まず感じたのは音のリアルさでした。ワイパーの駆動とガラスをふき取るモールの音、小学生特有の話しかたや声のトーン、夕暮れのチャイムが遠くから響く音等々、これらすべてが私の記憶の中にある音そのものでした。実際の音がどうというよりも、私にとってのリアルである記憶の中の音と兎に角ぴったり一致していました。それが映画をうしろから補正することによって、私は描かれる情景を、もしくは私の記憶をありありと眼前に描写することができました。飾られた音ってすごく心に響くんですよね。だから印象に残りやすいんですが、今回の映画が用意したものは違う気がします。拵えられた音が流れてくるというよりも、元々私たちが持っているサウンドライブラリの再生ボタンを押されているように、私の真横にすっと存在してくる音でした。演技はもちろんのこと、細部の音までこだわっているアニメーション作品は総じて馴染み深さがあると思います。
・翼と暁太郎の関係
物語の人物像といえばその役割にぴたりとはまるように作られることが多いでしょう。展開を引き立てるような特徴を与えられ、そのために存在するようなキャラクターは珍しくありません。しかし「我々は宇宙人」ではそうなっていないように感じました。翼と暁太郎の人生が先にあって、それを作品として構築したといえばいいでしょうか。序盤に「ふたりの人生と私自身の人生は交わりません」と書きましたが、それはふたりに対しても同じことが言えます。確かにふたりが関わり、交錯し、それによって捩れてしまったものもあるでしょうが、しかし、それぞれの人生はあくまでも独立しています。だから、最後にありきたりな仲直りや美しい大団円のエンドを迎えることもなく、高速道路のジャンクションを二手に分かれ進んでゆく。修飾されたご都合主義は美しいものです。人間の心を震わせるのは完成された物語です。だからこそ多用されていますが、でも私たちには先の人生なんて見えません。見えるのはせいぜい自分の過去くらいです。しかも見ることしかできません。もし全てを清算してすっきりできたならいいと思いますが、それでは多分面白くないのです。
・子どもであること
子どもの見えている世界は非常に狭いです。大人になってようやくそう思います。宇宙人の顔、宇宙船の形、傘の隠し場所、補導と逮捕のニュース、無神経さ、暁太郎の小夏と翼への囚われ等々、彼らがまだいかに子どもであるかということを示す要素がちりばめられていました。それがストーリーに関係あるかないかに関わらず。作中にはいわゆるいじめの描写がありました。あれも言ってしまえば子どもの純粋さゆえに生じてしまう現象ではあります。いじめる側はそれが悪だと気付いていません。そしていじめられる側も、自身がどれだけ深く傷ついているのかを分かっていません。翼はデオキシスのシールを見つけたとき、暁太郎はティッシュ山のなかに埋もれたときようやくそれに気づいたのでしょう。純粋な人間には善悪の区別はあれど過ちを知りません。考えが及ばない時期の過ちとは考えが及ばない限り気付きようがないものです。その知をもたらすものが成長なのか諦めなのかはわかりませんが。
・宇宙人
ときおり恐いと感じる場面がありました。暁太郎のプライドが決壊してアパートを飛び出すシーンや、翼の主観のなかで突如宇宙人の顔になった瞬間。あれだけはっきりと描写しながらも底知れない怖さを演出できるのはアニメーションならではの利点だと思いました。実写ならあのようにはいかない。目を閉じる暁太郎とフロントガラスと伝う雫の位置、部屋の隅に放置された漫画の草稿、子供が想像する形そのままのUFO。そういった意味でも作画の力強さは印象に残っています。少し薄ぼんやりとした少年期の記憶、その光景をそのままに描きだす巧さも。ポケモンパンのシール、コラショの目覚まし時計、手すりの上で指の二本を棒人間のように歩かせる下校時間。ただこれらを出して終わりではなく、ときおり混じる宇宙人という怖さの要素があったから飽きずに見ることができたのでしょうか。子どもの持つ原初的な想像力に眠る恐怖像をも存分に味わうことができました。
結局何が面白かったのか
まとめです。私はふだんから多くの映画を見るような人間ではありません。一般的なラインからするとむしろ見ていない部類です。ですからあの映画と共通する要素があったとか、その作品のニュアンスを大いに感じるとかそういった具体的な指標の例示はできません。なのでいままでに書いた感想が全てです。これまで語った以上のことはありません。どこが面白かったのか、と言われれば上記のことを答えますし、それほど語りたくなる要素に満ちた映画であったとも言えるでしょう。冒頭で述べた通り、私はこの映画の背景をなにも知らずにいますから、この映画はどのような道のりを経て制作されたのかなあと気になりました。ぼやけた視界で見えなくなった暗闇の中で、手の甲にこつんと何かが当たり、懐かしさがじわりと広がって、ああそういえば私は出口を探していたんだったなあと思い出すような、いまはそんな気分です。
こんなところで、私の感想を締めとさせていただきます。
じゃーーーねーーー!
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번역: Gemma 3(.44) 초벌 + 교정 검수
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